"ベルギー"と聞いて皆さんは何を思い浮かべるでしょうか。チョコレートやワッフル、ビールも有名な美食の国?ブリュッセルやアントワープに代表される魅力ある観光名所?西ヨーロッパに位置するこの国は面積が約3万㎢で日本の12分の1ほど、人口は約1,200万人で日本のほぼ10分の1。決して大きくはないこの国に、地域産学官の戦略的な連携によって急成長を果たしたライフサイエンス産業の一大拠点があると聞けば驚く方もおられるかもしれません。
多言語国家で連邦制のベルギーは強力な権限を持ついくつかの地方政府から構成され、そのうち国土の北半分を占めるのがフランダースです。フランダース地方政府は1990年代後半からより多くの自治権を獲得し、当初からその戦略的な意思決定(strategic decision-making)によって、バイオテクノロジーのエコシステム形成に注力し、地域において著しい成長と発展を得ました。その成功モデルの中心にあるのが、今回ご紹介するVIB(フランダースバイオテクノロジー研究機関、オランダ語でVlaams Instituut voor Biotechnologie)です。
今回はVIBの科学政策シニアマネージャ・国際資金調達オフィスヘッドとして、その事業計画策定と資金調達を指揮するリーヴェ・オンゲナ先生にお話を伺いました。
(聞き手/富山くすりコンソ事務局・髙森 寛)
■VIB立ち上げの背景
― はじめに、今から30年前の1995年に、なぜフランダース地方政府はVIBを立ち上げようと思ったのでしょうか?
背景には、ベルギーという国独特のやや複雑な政体が関係しています。1993年にベルギーは憲法改正によって連邦制に移行しました。この頃から各地方政府はそれぞれの政策に大きな権限を持つようになったのです。1960年代のフランダースは農業地帯で、産業がほとんどありませんでした。連邦制移行後のフランダース地方政府は経済の安定と成長のために、自らに強みがある分野に集中しようと考えました。その頃の地方政府は地域経済を活気づけることで、フランダースが自立した地域であることを内外に示さなければならなかったのです。
地域の強みは、当時、既に国際的に高い評価を得ていたバイオテクノロジー研究にありました。地方政府の初代首相はそこに着目した訳です。そして、非営利の研究機関であるVIBが設立されました。全ては研究力の強化を通じて、地域の経済成長を促進するという目標から始まったのです。
― そうして始まったVIBの取り組みは、以後、多くの優れた研究者と数々の研究成果を生み出し、その研究成果が社会実装され産業化されることで地域経済の成長と発展に結びついています。今ではこのVIBのモデルがひとつの「成功モデル」として機能することが国際的にも知られていますが、30年前のVIB立ち上げ当時は困難もあったのではないでしょうか?
VIB立ち上げに至った経緯は、ある意味かなり特殊で、それはフランダースにとって幸運だったと言えます。多くの場合、地域の産業クラスター支援機関は、政府からの限られた予算のなかで収支の均衡と成果の創出を同時に求められます。しかし、数年で成果を得られるような工業系の産業分野と比較すると、製薬や農業の分野は開発に長い時間を要します。研究の継続的な取り組みの重要性や、成果が得られるまでに時間を要する分野であることを、資金提供者に説明し理解を得るのは非常に難しいことです。
私たちの場合は、フランダース地方政府の初代首相が地域経済活性化のために、当時の政府幹部からの提案「フランダースの強みであるバイオテクノロジー研究力を活かす」を受け入れて、フランダースに優れた研究機関、例えば米国のMIT(マサチューセッツ工科大学)のような機関を作り上げる計画に着手しました。現在、ヨーロッパでは「政府が強みのある研究に対して、長期的な資金を供給するという大きな一歩を踏み出す勇気を持てば、それは必ず報われる」ということを説明する際に、私たちのVIBモデルが使われています。

■VIB運営の仕組み
― では、VIBがどのような仕組みでその取り組みを進めているか、教えていただけますか?
私たちはVIBを2つの使命をもってスタートさせました。ひとつはライフサイエンス研究における卓越性、つまり研究力の高さを目指すこと。もうひとつは研究成果の事業化、つまり経済面での卓越性の2つです。そのためにフランダースの5つの大学(ゲント、ルーヴェン、ブリュッセル、アントワープ、ハッセルト)と連携協定を締結して研究と教育を行っています。現在、これら5つの大学に、VIBの96の研究グループ、約2,000名の研究者がいます。主な研究分野は脳疾患研究、がん研究、炎症研究、微生物学、構造生物学、植物システム生物学、分子神経科学など。最近では VIB.AI という研究センターを設けてAIによる研究にも取り組んでいます。またVIBは女性研究者の登用にも積極的です。
VIBの研究グループリーダーは厳しい審査基準で選定されますが、そのレベルは高く、4人に1人が被引用数上位1%の科学者としてクラリベイト社の高被引用数論文著者リストに選出されています。彼らはVIBの研究資金のみでなく、国内外の競争的資金も多く獲得しています。また、VIBはコアファシリティ(最先端の研究設備・機器の共用プラットフォーム)を設置しています。計14あるコアファシリティに100名の専門技術者を配置し、研究者へ最新の研究環境を提供する体制が整っています。グループリーダーたちは、そうした環境で自らの研究分野の将来性を示さなければならず、VIBはそれを定期的に審査し、進捗を評価しています。
VIBのフランダース地方政府からの年間予算額は、2024年度で9,200万ユーロ(158億2,400万円)です。そのうち90%は研究費として使われ、残り10%がその他の運営費用等に充てられています。国際的な競争的研究資金や助成金、産業界からの収入など全てを合わせると、2024年度のVIBの収入額は1億7,000万ユーロ(292億4,000万円)です。他から多くの資金が得られているからといって、フランダース地方政府の予算が減ることはありませんでした。地方政府がVIBの目的に対して強い信念を持っていることの表われだと思います。VIBが地方政府に提出する事業計画は5年単位ですが、その審査は非常に厳しく、指標としている目標値(論文や特許出願、起業数など)を全てクリアする必要があります。
― VIB自身が独立した研究機関というわけではなく、フランダースにある5つの大学と連携しており、それら大学で2,000名ものVIBの研究者が活躍しているというお話ですが、具体的にはどのような連携関係にあるのでしょうか?
VIBは非営利の民間研究機関です。VIBの研究者はフランダースの大学の様々な学部に所属しています。そのため、VIBは各大学と専門知識や技術の共有を定めた連携協定を締結し、互いの強みを強化するために協力することとしています。研究によって得られた成果は大学とVIBとで共有されます。論文では、著者は2つの所属機関(大学とVIB)を明記し、出願する特許も大学とVIBとの共有となります。また、約2,000名のVIB研究者には博士課程の学生も含まれますが、彼らはVIB研究者として研究を行い、博士号は大学が授与します。私たちVIBにとって大学とのパートナーシップは極めて重要で、相互補完的な関係を築いています。
けれども、最初からこうした協力関係を築けたわけではありませんでした。VIBの存在価値が認められるようになるまで、特に設立から最初の5年間は大学からの理解が得られず大変でした。最初の10年間、私たちは懸命に働きました。そして、連携の取り組みがうまく回り始めたと感じたのは、ようやく10年目になった頃でした。今では各大学と非常に強固な協力関係を築いています。

<参考>
・VIB (フランダースバイオテクノロジー研究機関) https://vib.be
・本文に示す円額は2025/10/2時点(1ユーロ=172円)から算出した参考値です。